大東亜戦争・歴史における合理主義的思考

(呼吸合気と直接関わりは無いが、団塊世代の私にとって大東亜戦争は常に心にわだかまっていた問題である。この問題について率直に述べさせてください。)

(注):合理的思考態度とは、正しい知識を得る為に考え、誤りが有れば改める思考態度。対して、合理主義的思考態度とは、ひたすら自らの動機を正当化すべく論理を尽くし、誤りを認めようとしない思考態度である。)

 戦後教育の中で、私達は日本が侵略国で自分はその国民であるという罪悪感を心に植え付けられたように思う。団塊の世代にとって その払拭が人生の一つの課題になった。

 大東亜戦争を考える時、日本人は国内を見回して犯人探しをする傾向がある。そういう視点からあの戦争を見て来た。しかし相手国の側からこの戦争を見る必要がある。アメリカは何を考え欲していたか、そしてロシア・ソ連が狙っていたのは何だったのか。また中国はどうか、中国国内はどういう状態だったのか。共産党は何を画策したか。それに対して日本はどう対応したのか。

 結局、大東亜戦争は中国を舞台に西欧列強植民地主義の波が、西からはアヘン戦争を皮切りにヨーロッパ諸国の波、東からはペリー来航以来アメリカの波、そして北からはロシア・ソ連の波が日露戦争を一つの頂点として押し寄せて来てぶつかり合い、その波に翻弄され自己制御不能に陥ったのが日本であった。そうした中で日本は精一杯西欧植民地主義と戦ったと言って良いのではないだろうか。世界史の中でかの戦争を見ると、西欧植民地主義の最終局面であった。その後は共産主義と資本主義のイデオロギー対立の時代、実際は新たな覇権主義対立の時代が開かれた。それが当事者を変えながら今に続いている。大東亜戦争は、内向きに日本の中だけを探っていても本当の姿は見えて来ない。

 アメリカは日本に原爆を投下し多くの市民を殺害した。ソ連は日本のポツダム宣言受諾後満洲へ侵攻し、日本人をシベリアに抑留し強制労働に付した。そして北方四島を手中にしてしまった。中国では内戦の末、共産党が政権を奪取した。そして更に朝鮮戦争が起こった。ここに大東亜戦争に当たって各国の動機は何であったのかが明らかに表れている。決して平和を望んでいた訳ではない。

 極東軍事裁判は合理主義的思考の典型的な例である。これはアメリカ、ヨーロッパの人種差別と植民地主義の動機を合理主義的に総決算し正当化したものである。原爆を落とした国が人道に対する罪で日本を裁く。その非を言われて合理主義的思考を以て自己を正当化する。その裏にインディアンを殺害し何の疚しさも感じない西部劇のアメリカ人を感じるがどうだろうか。当のマッカーサーが戦後、かの戦争は日本が自らを防衛する為に行われたものであると言った。とすれば極東軍事裁判とは何だったのか。アメリカは戦時中スターリンを信用していたのか。
 極めつけは、GHQの戦後日本統治方針である。よく言われるように日本人が骨抜きにされた感がある。さながら思考停止状態である。自ら国を守る意志を理解することすら出来なくなってしまった。これが所謂 ” War Guild Information ” の目標であったのだろう。私は右翼という訳ではないが、自分の国を自分で守ろうと思うのはごく当たり前の事であろう。またアメリカに何か特別に物申すなどという大それたことを考えている訳ではないが、自らを振り返って動機を正当化しようとする合理主義的思考態度に気付いてほしいと願っている。

 日本の文化は人の動機を見る。理屈、詰り合理主義的思考を嫌う。理屈の裏に動機を感じ取り、理屈に潜む嘘を見るからである。江戸城の無血開城は動機の意識層で行われた。そこには独裁権力に対する志向は無かった。ところが外国を相手にする時はこの思考態度が働かない。相手国の動機を見ることに思い至らない。
 戦後、自らの国を貶め、逆に自らが優越していると意識する人が出て来た。自らの国を貶めると何故自らを優越せしめられるのか私には良く分からない。そこにどのような心理的絡繰りが有るのか。自らの国を貶めるより、自らの国を如何に価値有らしめるかと考え努力する人の方が偉いと思うのだが。

 批判の心理的意味は不満ではないか。不満を論理立てて述べる。基調は否定である。しかし積極的な行動、創造的な努力は肯定的発想から生まれる。これが批判を事とする人達の積極的成果を生み出せない理由である。心が否定にしか向いていない。

 合理主義的思考は、動機に誘導されながらその動機を自らにも覆い隠し、動機を実現すべく行動し、その行動を正当化する。今、世界は合理主義的思考態度に覆われている。しかし現在の世界を見ればそれが平和を齎さないのは明らかである。合理主義的思考の絡繰りに気付き、自らの動機に気付くこと、詰り自覚がこの合理主義的思考態度から脱却する第一歩ではないか。私が自覚・気付きを呼びかけるのもその為である。そして自覚を促す為の一つの方法が呼吸法であると思う訳である。

 『汝自身を知れ』、『直指人心』、『脚下照顧』、また『なんじらの中、罪なき者まづ石を投げ打て』(聖書・ヨハネ伝)。洋の東西を問わず智恵は人間に自覚を求めている。

 共産主義も常に心に架かっていた問題である。共産主義と独裁が何故結び付くのか。平等を求める筈の体制がどうして独裁体制に成るのか。
 自由の心理的意味は不自由に対する不満である。同じ様に、平等の心理的意味は不平等に対する不平不満であると考えられる。それが激しい場合、自らの貧しさを見、貴族の苦労知らずな豊かさを目の当たりにして恨みを抱くことに成る。逆から見ると、豊かさに対する渇望の表現が平等である。不平等が激しくなるとそれは破壊慾に成る。ここで革命と独裁が結び付く。破壊慾を糾合し独裁権力を奪取しようとするのが暴力革命である。
 平等は自由と共に民主主義の目標である。ひたすら平等を求めるのが共産主義であり、平等と独裁は結び付かない。しかし平等を実現するには統制経済に成らざるを得ず、政治体制は独裁に結び付く。ここで政権を握った者の利己心が介入し独裁体制が生まれる。打ち建てられる理論は、如何に壮大に創り上げられていても、少なくとも革命指導者、独裁権力者にとっては、権力を正当化する為に必要な合理主義的思考の道具である。

 歴史の中で起こる事件の具体的様相は時代と共に変化し技術的に進んでいるが、動機の意識層で見れば同じく利己心の激突である。

 因みに、民主制と市場経済は、人間の利己心を大前提にして、対に成っている。自らの利益のみを追求する利己的行動を前提し、その利己的行動を調整しながら社会を運営しようとするのが市場経済と民主制である。権力者の利己のみを認めようとする独裁体制と市場経済は相容れない。経済的に貧しい国では発展途上に於いて独裁は有効に働く。社会秩序を整え、産業を興し軌道に載せ、経済を建てねばならない。しかし経済的豊さを実現した後、市場経済体制を維持しようとすれば、独裁者と市民の利己は次第にぶつかり合うことに成るだろう。科学技術を習得すれば豊かに成ることは出来る。また科学技術は既に確立されたものを習得すれば良い訳であるから、それを生み出すよりは短期間に習得可能である。短期間に豊かさを手にした中華人民共和国は今後どのように変わって行くのだろうか。まさか大唐帝国皇帝の亡霊ではないだろう。

 以上、私がこれまでに考えてきたことを、動機を正当化するという合理主義的思考を軸に、率直に述べてみました。考えの至らないことは承知しています。異論もあるでしょう、私の誤解もあるに違いない。一つの考え方、歴史観として受け取ってください。ご自分で物事を考える際の参考になるものが有れば幸いです。

随想

前の記事

空ずる
随想

次の記事

心の投影