物心二元論と死後の世界
一つの話を考えてみよう。生命というものが有り、それが物質世界を豊かにするべく物質で形を作り、そこに核として生命の分子を入れた。物質世界に働きかけるには物質的な力に依らねばならないからである。その形が肉体としての人間。生命を受けた核である心が、物質である肉体を動かして物質世界に働きかけ、豊かな世界を作る。これが生命の目指したことである。ところが生命の分子である心は物質に包まれて各々互いに分離され、個別の肉体生命のみを豊にすることを求めるように成った。利己心である。物欲、支配欲。これは一つの話であるが、その真偽は、この話が実際に起こる出来事をどのように解き明かすかを見て判断しよう。
人は心の発する動機に基づいて行動し、物的世界に働きかける。これが物心二元論から見た人間の行動原理である。人間はこれを長い時間積み重ねて歴史を作り物的社会を豊かにして来た。その動機は利己心に支えられている。人々は自らの物的豊かさを求め、他者を支配しようとする。その例は歴史の中にいくらでも見出せる。歴史を見る時、注目されるのは主に大きな政治的事件であろう。そこでは社会的背景や影響が検討される。しかしその前に当事者の具体的な行動が有り、その行動には動機が有る。動機が当事者を動かして事件を作るのである。背景や影響の判断はその事件を見る人によって異なる。その判断も一つの行為であり、見る人の動機に基づく。詰り判断は見る人にとって都合の良いようになされる。これが物心二元論の見方であり、私の言う合理主義的思考態度である。そしてこの態度を克服するには動機を自覚する必要があると思われるが、それはまた改めて考えよう。
利己心は自らの肉体に限定された生命の豊かさを求めるが、生命は本来個別の肉体に限定されるものではない。生命から分け与えられた私達の心は、利己心の奥に生命本来の姿を秘めている。しかし個別の肉体生命に限定された利己心は、生命本来の姿を表わそうとしない。生命を基準にして見れば、利己的な行為は生命に反している。心は生命に発しながら、肉体に局限されたが故に生命本来の姿から乖離してしまうのである。
ここで私達は、物心両世界に因果の理が遍く働いていると考えよう。悪因には必ず悪果が伴う。悪いことをすればその報いを受ける。歴史には多くの悲惨な殺人事件が有る。一人二人ではなく、百万或いは千万単位の人々が殺害される。一人の権力者が人々を駆り立てて、無慈悲な殺人を為さしめる。その独裁者の動機を見れば、偏に利己的な野心、権力欲としか思えない。生命が本来目指した世界は、人々が共に豊かな社会を作って行くことであり、多くの生命を抹殺するというのは、明らかに生命に対する背反である。独裁者の行為は悪と言うべきであろう。因果の理があくまで貫徹されるものならば、この悪因には必ず悪果が有るはずである。しかるにそのおぞましい大量殺人を人々に為さしめた独裁者は合理主義的思考を以って自らを正当化し、あまつさえ人々に英雄として崇められ、そのまま英雄として死んで行く。こういうことが歴史には起こる。しかしこれでは因果の理が通らないだろう。因果の理があくまで貫徹されるものならば、どうしても死後の世界が有り、そこでその英雄は悪因の果を受けると想定せざるを得ない。
物的世界の因果の理は因果律と言われて、原因に対する結果はすぐに現れる。これに対して心に関しては、因として心が動機を発し、果として物的世界に肉体的行動が現れる迄には時間のずれが有る。詰り、心と物の間では、因と果の間に時間的間隔が入る。心の世界の中では因と果には時間のずれは無いと思われる。心が悪念を発するとすぐにそれに対する悔恨の思いが現れる。しかしこれは利己心の奥に有る生命本来の意識、深層意識で行われることで、いわゆる顕在意識には自覚されない。或いは利己心が敢えて気付こうとしない。心の果はそれが物的世界に現れて初めて人々に確認される。しかしそれが現れる迄には時間が掛かり、現れる前に死んでしまうことが多い。そうなると、因果が途切れてしまうのか。因果の理があくまで貫徹されるものならば、死後の世界が有り、肉体を離れた死者の心は、因と成る動機を担ってその世界で果を受けると考えざるを得ないだろう。物心二元論と因果の理に基づいて考えるならば、死後の世界の存在を想定せざるを得ないのではないか。
ここまで考えを進めて来て改めて冒頭の話を振り返って見ると、生命が肉体を生み出し、肉体に包まれた個別の生命が利己心に駆られて物質世界で活動する、という話には一定の真実が含まれているように思われるがどうであろう。そしてもう少し話の先を見透してみるとると、霊界や、地縛霊、邪霊、そして守護霊、指導霊が確かに存在すると言っても良さそうである。また歴史の背後に邪霊集団の暗躍も予想できる。人間は、時に人間業とは思えないようなおぞましい所業を平気でやる。
今後も霊については冷静に考えを進めて行こう。