気付き(勘)を開く呼吸法

 私達が物事を理解しようとする時、論理的に考える。しかしそれとは別に、論理を介さずに事の核心に気付くということが有る。実は、物事の理解はこの気付きに依るところが大きい。論理の前に結論が有りその結論を説明しようとするのが論理的思考の役目である。気付きが正しいかを検証するのが論理。この気付きの働きを「勘」という。この勘の声を聴き取ってみよう。

 しかしその前に、勘の働きを澄まさねばならない。勘の声とは心の声である。心を澄まさねばならない。
 心を凧に例えれば、凧の糸が結ばれている所が肚であり、その肚は腰が支えている。肚が糸を放してしまうと、凧は風に翻弄され回転しながら飛ばされてしまう。肚が糸を掴まえているからこそ凧は悠々と空を泳ぐことが出来る。そして肚は腰に支えられて凧の糸を保持する。

 ところで、私達の呼吸は身体の周りに広がりを持っている。身体の周りに呼吸の空間を作り、凧である心はこの空間を泳いでいる。呼吸が安定していれば心も安定し、乱れれば広がりの中に吹き荒れる風に心は翻弄される。呼吸の空間は肚を中心に広がっており、そしてその肚は腰が支えている。腰は文字通り身体の要であるが、同時に呼吸の要でもある。

 さて、呼吸の歪みは心の働きを歪ませるが、逆に心の歪みが呼吸を歪ませるということも有る。実はこちらの働きの方が大きい。私たちの課題は、心の歪みを取り除くことであり、「気付き」を開くことである。心に固着した歪みは、呼吸を歪ませる。そこでこの呼吸の歪みを吐き出して心の歪みを取り除こうと試みることになる。呼吸の作る空間を整え清澄にし、心が自由に活動できるようにしよう。それが呼吸法である。

 先ず腰を起こす。腰を左右から挟むように意識すればよい。そうすると腰が起きて背骨が立ち上がる。これで鼻口と肚の間に息が通る。腰の構えを維持しながら静かに口から息を吐き始める。汚れた息は口から吐く。腰の構えを維持しながら肚(下腹)をゆっくり締めて行く。そのためには肚を締めると意識すれば良い。吐く時、初め喉元で「ハー」という音がする。頭から肩、胸、腹へと息を吐いて行く。吐くに従って肚が締まって来る。「ハー」という音はしだいに消えて行く。最後に身体を少し前へ傾けて肚の息を吐く。
 そのまま少し間をおいて、口を閉じ肚を緩めながら鼻から息を吸い入れて行く。腰の構えは外さない。吸う時、初め鼻先で「スー」という音がする。肚から腹、胸へと息を満たして行くに従って傾けていた身体が起きて来て、「スー」という音はしだいに消えて行く。肩から頭まで息を吸い入れ、そのまま少し間を置いて、改めて腰の構えを確認してから、また吐き始める。この呼吸法を暫し行い、最後に心持長く息を吐きながらゆっくりと呼吸法を終わる。清々しさを覚えるだろう。

 私達は日々気付かぬ中に汚れを心に取り込んでいる。この汚れは肚に溜まる。悪念は肚に蔵まる。その汚れを吐き出し肚をきれいにするのである。この呼吸法を焦らず、そして弛まず実習し、呼吸の空間を清澄にして行けば、心が解放され、勘の働きが開かれて気付きを得られるだろう。そういう意味でこの呼吸法を『気付きを開く呼吸法』と言おう。

 呼吸法を実習するに当たって心得ておくべきことが有る。気付きは巧んで得られるものではないということだ。呼吸法は利己的目的を目指して行うべきものではない。気付きはおのずから与えられるものである。 

 『 敢えて求むる勿れ 』

※ 呼吸法を実行するに当たって気を付ける点。
 肚を強調すると、吐く時に息を肚に籠めるようになりがちであるが、『気付きを開く呼吸法』は肚に溜まる息を吐き出すのである。その為に腰を支えにしながら肚を締める。その時腹圧が生じる。と言っても強力に締めつける必要はない。肚に弾力を感じるぐらいがちょうど良い。            また息を吐く時、腰の上部を意識して強く吐こうとすると腰椎前弯になり腰を痛めることになりかねない。腰の中程を挟むように意識すると良い。