呼吸を外す

 人は呼吸を外されると力が使えなくなる。合気とは相手の呼吸を外すことである。呼吸を外して自ら動けないようにし、その状態を維持しながら相手を投げる。これが呼吸合気の基本原理である。相手の呼吸を外すことが出来れば相手を投げるのに特別な技の形は必要ない。

 ここで大事なことは投げる者が自ら呼吸を詰めない事である。呼吸を詰めてしまうと身体が強張って動けなくなる。人を投げる時息を詰めてしまいがちであるが、これは身体を固めながら身体を捌こうとしていて、呼吸と身体の動きがぶつかっている。こういう稽古をしていると怪我をする可能性が大きくなる。
 当然、身体を動かすには筋肉を使わねばならない。私達は意気込んで何かをする時肩に力を入れてしまうが、そうすると呼吸は上がり息が塞がれてしまう。だから往々肩の力を抜くことをリラックスと表現する。しかしリラックスとは呼吸を滞らせないことである。要は呼吸を詰めずに筋肉を使うのである。そのためには呼吸を使って身体を動かせば良い。身体を風船と見立てて、息を吸うと風船は腕を広げ、息を吐けば風船の腕は下りる。このように呼吸を使って腕の上げ下げをするのである。これが呼吸合気の基本技法である。ここから合気道で使う力を呼吸力という。実は、素直に身体を動かす時には誰でも呼吸力を使っている。

 呼吸合気の受けの稽古は滞りがちな呼吸を開くという意味が有る。呼吸が外されるということは、投げに呼吸を開かせられるということでもある。日常生活で籠りがちな呼吸を開くのである。呼吸合気は、投げ、受け、協力して滞らない呼吸を稽古する。

 心は呼吸に表れる。心の歪みが呼吸の歪みとなる。呼吸の歪みは肉体的には呼吸に使う筋肉の凝りである。呼吸合気の稽古はこの凝りを取り、心に人間本来の姿を回復させようとする。その意味で呼吸合気の稽古は 禊 の意味を持つ。『 合気の技は禊技 』と言われる所以である。
 呼吸合気の呼吸を取り出して大きくすると 禊の呼吸法 になるだろう。

 植芝盛平翁は世界平和を希求していた。合気の技は、禊の呼吸を以って平和を目指すと言えるのではないか。