呼吸の体操を説明する。
立ち方は、踵を拳二つ程開き、爪先を概ね90度に開く。拇趾、拇趾球に身体を載せる、ようにして立つ。踵は軽く床に着けておく(画像1)。
両腕を揃え掌を下にして胸の前に出す(画像2)。肘は伸び切ってはいない。伸びきってしまうと息が詰まる。まず息を吐き始め、息を吐きながら腕を下ろす。その時膝が少し屈む(画像3)。次に息を吸いながら腕を上げ元の姿勢に戻る。
腕を下ろす時息を吐くのが先で、その後に腕が下りる。腕を下ろすのを先にしたり、同時に下ろし吐き始めると、呼吸と腕の動きがぶつかり肩が上がった状態で腕を下ろすことになる。この点はよく注意しなければならない。
腕を上げる時も同じで、吸い始めてから腕が上がって来る。呼吸が先導して腕が動くのである。腕を下ろす時膝が少し屈むが、恰も鳥が地上に降立つような感覚で膝を屈める。
呼吸の体操では、吐くのは口から。吸うのは鼻から。吐く時に強く吐こうとして喉を締め付けるようにしがちだが、喉は息の通路で締めると呼吸は狭められてしまう。楽に吐くようにしよう。多少時間はかかるが、繰り返し練習を続けていると楽にしっかりと吐けるようになって来る。
次に腕を大きく回す体操がある。腕を揃えて頭上に上げる。その時手の甲が前に向いている(画像4)。息を吐き始めてから腕が身体の前を下りる(内回り)。膝を少し屈めて腕が下まで下りる(画像5)。下に下りた時は手の甲が外側に向いている。腕が下まで降りても息は吐き続けている。それから息を吸い始めて腕を上げて行く。上る時には腕は身体の外側を通る(画像6)。掌を下に向けながら上がり、頭の上まで上がって手首を返して手の甲を前に向け初めの姿勢に戻る。
同じ動きを逆回りにする(外回り)。体操をするには内回り4回、外回り4回を繰り返すと良いでしょう。
呼吸の体操は呼吸が先で動きはそれについて行くということが肝心である。動きを先にして呼吸はその後ということになりがちであるがよく注意しよう。
呼吸合気の技の動きを取り出して呼吸の体操をすることも出来る。
簡単な体操であるが、呼吸合気の基礎となる呼吸を身に付けるための稽古である。私達は日常生活の中で呼吸の位置を上げていることが多い。気付かずに肩を上げ固め、胸を締め付け、また喉元で息をし、首筋を緊張させたりする。この体操は肩の力を抜いて緊張を解いて、呼吸で動く稽古である。この体操を日常的に稽古していると、呼吸が安定し精神的に平静な状態を日常生活の中で維持できるようになって来る。これは人間にとって重大な課題である自覚、自分への気付きを得るための条件を整えることでもある。
呼吸合気に限らず、日常生活で肩を上げたり胸を締め付けたりしないで呼吸するには横隔膜を十分に使わねばならない。その横隔膜の呼吸を身に付ける稽古が「呼吸の体操」である。その横隔膜について次に考えてみよう。
『 呼吸法、横隔膜、鳩尾 について 』
( 私の体感を基に考えてみました。何らかの証拠に基づいているわけではありません。自分の体感で読んでみてください。 )
当たり前であるが、呼吸は肺で行う。私達は何の気なしに肺が自ら広がり縮んで息を出し入れしていると思っていませんか。しかし肺胞には筋肉が付いているわけではないのでそれは間違いです。呼吸は主に肺を囲んでいる肋骨の拡縮で肺の中の空気圧を変えて行われる。肋骨は動かないように思い込んでいるが肋骨が動かなければ呼吸は成り立たない。肋骨廻りの筋肉は胸筋であるが、もう一つ横隔膜がある。胸筋は肋骨を横方向へ拡縮するが、横隔膜は下方向の拡縮をする。横隔膜は肺の下側で内臓と肺の境に在り内臓を上から覆っている筋肉の膜である。筋肉はどれでも支点から支点に渡されている。それでは横隔膜の支点は何処か。一方は腸骨や仙骨、詰り腰で、他方は肋骨であろう。横隔膜が収縮すると腰が緊張し、他方肋骨が引き下げられる。その時鳩尾の所に括れが生ずる。これが丹田呼吸と言われる呼吸で出来る括れである。横隔膜が収縮すると内臓が少し上から圧迫されることになるから腹圧を感ずることになるが、これは敢えて作り出したする腹圧ではない。
肋骨は目に見えて大きな動きをするわけではないが、囲んでいる肺の表面積は大きいから少しの動きでも集めると大きな体積の変化となる。呼吸の大きさはこの変化以上にはなれない。あと出来ることはせいぜい上体を屈めて肋骨を押し下げるぐらいであろう。息を吐き切ると言っても肺胞そのものを絞って肺内の息を全部出すことは出来ないのである。
( 腹を凹ませて内臓を下側から押し上げ肺を狭めることもできるが、これは身体を動かす時の呼吸にはならない。)
横隔膜に関連して鳩尾も呼吸法にとって重要な項目である。丹田呼吸法では鳩尾を落とすと言われる。横隔膜の位置を下ろしより強い腹圧を得ようとするわけである。しかし鳩尾が落ちた時の姿勢は腰が後ろに抜け肛門が開いている。所謂気の抜けた時の姿勢である。丹田呼吸法ではそこを敢えて腰を起こし肛門を締めようとするわけである。また鳩尾を落とすのではなく、鳩尾の所で上体を屈めて横隔膜を下げ腹圧を高めるやり方もある。しかしこの姿勢は息を肚に籠めてしまう。不満を内に持っている時、怒りを内に籠めている時の姿勢であり呼吸である。腹圧は掛かるが息は停滞する。息が停滞すると心も停滞する。鳩尾は張ったり固めたりせず、解(ほぐ)れていれば良い。
人間は特別な呼吸をしなければまともに生きて行けないようにはできていないはずである。丹田呼吸法は、例えば誰かが上ずった呼吸をしている時、横隔膜を使う呼吸に戻すための訓練法で、呼吸が戻れば敢えて強い腹圧に拘る必要はない。腹圧に拘るとかえって呼吸が歪んでしまう。
呼吸法のやり方を説明する。
姿勢は、正座、胡坐、椅子に座っても良い。「呼吸合気の技法」の「姿勢」で言ったように、腰を起こし(仙骨を両横から留める)上体を楽にできれば良い。脇は開けておく(脇を開けると肩が収まる)。吐き方は、顔を前に向け口を少し開け喉を開ひらき、静かに吐き始める (鼻から吐く場合は顎を少し引くと吐き易い)。初めに喉元で「ハァー」という音がする。肩から胸の息を吐いて行き、最後に横隔膜が締まって静かに吐き終わる。横隔膜が締まる時、股関節の所で腰から上体が少し前に屈み (横隔膜の所、詰まり鳩尾で屈む) 顔が俯く。
次にそのままの姿勢で口を閉じ、横隔膜を緩めてゆっくりと鼻から吸い始める。(鼻で吸う時は顔を俯けておいた方が息の通りが良い)。ここで腰を後ろに抜かないように注意しよう。初めは鼻の奥で「スゥー」という音がする。胸の下の方から息が満ちて来きて上体が起き、顔を前に向けて喉元まで息を入れる。胸に息が満ちて来る時鳩尾を浮かせないように注意しよう。鳩尾が浮ほ身体は虚の状態になり、心は浮いてしまう。これは不安に駆られた時の呼吸である。
少し間をおいてまたゆっくりと吐き始る。
吐く時無理に強く吐いたりすると喉が締め付けられかえって息は通り難くなる。吸う時も同じで、急いで吸おうとすると喉が締まり呼吸が上がってしまう。喉はいつも開いている。その為には吐くと吸うの変わり目はゆっくり静かにしなければならない。呼吸が滞ると呼吸力は使えない。呼吸が滞ると心も滞る。
目は閉じて身体を感じながら呼吸しよう。
この呼吸法は人間にとって自然な横隔膜の呼吸を大きくし、呼吸に関する筋肉を伸ばし解して肺内の空気を十分に入れ替えるものである。呼吸の柔軟法と言っても良い。大きく吸い、十分に吐くのであるが、肋骨の動き以上には呼吸できないのだから、無理矢理息を吸い込み、吐き切るようなことはしないようにしよう。
口から吐くのは心のわだかまりをまさに吐く為である。その意味でこの呼吸法は「禊の呼吸法」と言えるのではないかと思っている。心内を浄化し自覚(気付き)を得る為の条件を整える。
瞑想する時には吐くのも吸うのも鼻から行う。(鼻から呼吸する時は、顔を前に向け顎を少し引く。この姿が息の通り易い姿である。そうすると視線は斜め下に向く。座禅の時の視線となる。)瞑想とは深い精妙な想念波動に自らの意識を同調させようとする努力である(気付き)。しかしその前に自らの意識を浄化しなければならないのではないだろうか。私はこの方面の事には不案内でただ想像することしかできないが、浄化をせずに安易に瞑想などをすると、おかしな表現かも知れないが、精妙な波動に弾き返されてしまうというようなことが起こるのではないだろうか。肉体的な不調を来すとか心理的に不安定になる、等々。( 日常生活のストレスを解消するために精神的な一休みをするぐらいなら問題はないと思いますが、それを瞑想というのでしょうか。)
気付きは人為で得られるものではない。私達に出来ることは物事に真正面から向き合い真剣に生きようとする努力である。その中で気付きは自(おの)ずから生まれてくる。そのための条件を整えるのが「呼吸の体操」、「呼吸法」である。作為を以って気付きを得ようとしても、合理主義的思考が働いて都合のいい知見が見つかったような気がするだけで、本物は得られないであろう。
先ずは、心身の浄化に努めるべきである。
” Where can it be- This land of Eldorado? “
” Over the Mountains Of the Moon Down the Valley of the Shadow, Ride,boldly ride,”
The shade replied- ” If you seek for Eldorado ! “
Eldorado by Edgar Allan Poe